鳥取県芸術家百華Vol.35

 世界で「The Japanese Beatles」と呼ばれ人気を博した「TheくらよしBeetles」というバンドが鳥取県にあったことをご存じですか。今回は、そのメンバーの中本進一さんと住吉裕志さんに当時のことなどを語っていただきました。

伝説的バンド“TheくらよしBeetles”

 高校卒業後、仲良し4人組でバンドを組んだのが全ての始まりでした。「とにかくこの4人でやる。誰か一人でも活動できなくなった時はバンドを辞める!」と
“人ありき”で始めたので、演奏の上手い下手は二の次でした。最初はビートルズだけでなく、他のバンドの曲も演奏していましたが、シンプルでありながらも聴き手を圧倒するビートルズの楽曲の魅力に取り憑かれていき、徐々にビートルズの曲が中心となってきました。そして、“やるからには徹底的に”という考えで、「TheくらよしBeetles」として、4人それぞれがジョン・ポール・ジョージ・リンゴに成り切り、本物そっくりのパフォーマンスをするようになりました。そして、94年に初の単独ライブを企画。当時はまだ若く、経験不足だったため、「自分たちの演りたいことを、自分たちのやり方でやるにはこれしかない」と信じ、赤字でも何でも自分たちだけでどうにかする覚悟でした。ですが、そのライブで500人を動員し、会場は超満員。それを聞き付けたマスコミ等も押し掛け、テレビでも取り上げられるようになりました。ここから活動の勢いに火がついたという感じです。一方で順風満帆に見られていた活動には、逆風・横やりなどもありましたが、当時はそれすらも追い風に変え、有難いことに、勢いが途絶えることはありませんでした。

海外進出エピソード

 ビートルズもライブをした伝説のライブハウス、イギリス・リバプールの「The Cavern Club」でライブをするのが夢で、「どんな条件でも構わない!とにかくそこでライブをさせてくれ!」と、何度もFAXを送りました。当然、反応はなかったのですが、熱心に送り続けた結果、ついに返事が来て、97年に念願のイギリスライブが叶いました。ライブ終了後、認めてもらえた証として、壁にサインをさせてもらった時は本当に感動しましたね。そして翌年にはあちらから招待していただき、2回目のイギリスツアーを行いました。その時に、世界最大のビートルズ祭り「International Beatle Week」への出演や、イギリスのテレビ番組に出演するなど、海外メディアでも取り上げていただきました。それが日本でもニュースになり、帰国すると同時に、待ち構えた国内外のマスコミから立て続けにオファーを貰うほどでした。スコットランドのエジンバラフェスティバルというイベントに招待されたときは、その時のステージが最高ランクの5つ星の評価を得ました。それがまた日本でもニュースとなり、テレビやライブへの出演に加え、ドキュメンタリー番組の撮影で半年間カメラが付いて回るなど、活動を重ねるごとに忙しくなっていきました。

「倉吉アマチュアバンドネットワーク」の立ち上げ

 「TheくらよしBeetles」の頃からこれまで、地元の皆さんには大変お世話になってきました。その恩返しに何かできれば、という思いからネットワークの立ち上げに参加しました。自分たちのように海外進出を目指すバンドの援助や、次世代が活動しやすい環境づくりなど、いろいろと思うことはありますが、やはり自分たちも少しでも長くバンド活動を続けていければという思いが一番強いです。これまで自分たちが国内外で蓄積してきたノウハウを若手に伝える、アドバイスをするにも、自分たちがプレイヤーでいないと説得力がありませんから。自分たちが現役で居続けることが、次世代にも繋がると思っています。

再始動は…!?

 「TheくらよしBeetles」は、私(中本さん)が病気をしたこともあり、今は活動休止中ですが、今年はビートルズ50周年という節目の年でもあるので、何か出来ればとは思っています。もし再始動したら、海外での活動も視野にいれていきたいですね。今でも海外から出演オファーをいただくし、リバプールの方と今でも文通が続いているんですよ。ただ、もうあの頃のようなパフォーマンスは出来ないし、しても面白くないと思います。40代だからこそ出来る、味のある演奏をしたい。それが出来そうな気がした時が再始動かと。「TheくらよしBeetles」として活動してきた10年間、ずっと本物のビートルズに憧れ続けてきました。だから、“オヤジ”でありながらも、ビートルズに憧れる子どものような気持ちはいつまでも大切にしていたい。憧れなくしては、ビートルズは語れないし、演れないですからね。
僕らにとって「TheくらよしBeetles」は、“一人一人は優れたプレイヤーでなくても、田舎の若者4人が心をひとつにして、数々の夢を現実に変えていった”…そんなことを未だに再認識させてくれる素晴らしいバンドでした。


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