すべてのことは恋からはじまった

 人を突き動かし、時に破滅までさせる恋。詩人ハイネは「“恋に狂う”とは、言葉が重複している。恋とは狂気なのである」と言う。作家の柴崎友香氏は、「恋愛は論理的に説明できなく、それが最も端的に現れるのがひとめ惚れという状態。何の理由もなく人は恋に落ちるのだ」と。
 「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の「おかる」と「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」の「お初」、二人の女性も恋したことにより物語が始まり、それぞれの運命が動き出したのです。

おかる・お初…二人の生きた時代

 五代将軍徳川綱吉(つなよし)の治世、1688年からの16年間、歌舞伎などの芸能をはじめ絢爛(けんらん)たる美術や浮世絵など様々な文化が発展・拡大した元禄時代。その文化の担い手となったのは財力と見識を身につけた町人たちでした。
 大坂(江戸時代は大坂、明治4年から大阪と表記)は商人の町。日本中のあらゆる物産が大坂に集められ、そこで値が定められ、また全国に散っていく…。莫大な富が落ち、豪商で高名な「淀屋(よどや)」が誕生するなど空前の繁栄を誇りました。生活が贅沢になったことで芝居小屋や遊里も発達。大中小様々な劇場がにぎわうなかで、隆盛をきわめていたのが人形浄瑠璃だったのです。
 一方江戸では、将軍を頂点においた身分社会が確立。武士たちは自らの精神的なよりどころとしての信念を大切にし、「主君に仕える者」として忠誠を誓い、死を常に意識しながら、それを乗り超える強い精神を求められていました。とは言え、江戸時代は平和な時代で、武士も役人としての毎日を送っていたのです。

おかるの恋

 塩冶判官(えんやはんがん)のお屋敷で、判官の妻の腰元だったおかる。そんなおかるが恋に落ちたのは、判官の側近・勘平です。
 一方、高師直(こうのもろのう)は、判官の妻に対する横恋慕から、何かにつけて判官をねちねちと責めます。度重なる師直の悪口に耐えかねた判官がおこしてしまった刃傷事件(にんじょうじけん)。主君の一大事に勘平はおかると色恋にふけっていて、駆けつけることができませんでした。武士としての足場を踏みはずした勘平は、一時切腹も考えましたが、思いとどまらせたのはおかるの愛。結局、二人はおかるの郷里・京都へ逃避行…。
 京都で狩人となった勘平ですが、やはり根っからの武士。切腹となった主君・判官の家来の間でもちあがっている仇討の計画に参加したいと考えます。そんな勘平の仇討ち資金調達のために、おかるは祇園の遊女となるのです。
 京都では勘平と夫婦になったのですが、愛する男性のために、身を売り遊女にまでなってしまったおかる…。武士としてしか生きられなかった男・勘平へのおかるの深い愛情が、選択させてしまった結果なのでしょうか。

お初の恋

 大坂蜆川(しじみがわ)にある天満屋の遊女・お初。そんなお初が恋におちたのは平野屋の奉公人・徳兵衛。優男(やさおとこ)で仕事もできる徳兵衛にひとめ惚れでした。
 遊里の中だけの「色恋のまねごと」だった二人の恋。友だちの悪だくみにはめられるなどの影響が表面化することにより「本物の恋」がはじまったのです。
 あいまいだった徳兵衛の心も、おじである平野屋の主人がすすめる結婚話を断り、お初との恋を選んだことですっきりとします。しかし、お初との恋を貫こうとする生き方は、周囲との問題も引きおこしていくのです。やがて、愛というには幼すぎる二人の純愛は、「死」することを選びました。大坂の町で神域とされる曽根崎天神森(てんじんのもり)で…。
 恋を愛へと深めていったおかるとは対照的なお初。今、この瞬間の燃えるような愛のかたちを永続させるためには、この純愛が褪(あ)せないうちに愛する徳兵衛と「純恋愛死(心中)」するしかなかったのです。

二つの物語

 この二つの物語は、それぞれ実話をもとに書き上げられた浄瑠璃作品です。
 「曽根崎心中」においては、近松門左衛門が執筆し、事件後1か月には戯曲化・上演された物語ですが、当時の大坂の人たちに熱狂的に受け入れられました。なぜ「心中」がと思われるでしょう。近松門左衛門の言葉の表現力の魅力も大いにありますが、当時の大坂の状況にも影響されていたのかもしれません。
 元禄は活気に満ちた時代であり、なかでも大坂は経済が躍進する中、日々の暮らしを憂いたり、将来を心配する必要を感じていませんでした。そんな大坂町人たちの最大の関心事は「恋」であったと思われます。
 律義に平穏無事に日常を過ごしていくことを大事に思っていた平凡な町人たちは、遊女と若い奉公人の「恋愛」に魅力を感じ、熱い共感を覚えると共に「純恋愛死(心中)」という思い切った行動の中に、自分たちには叶えられない夢を見たのではないでしょうか。

文楽へのいざない

 「人形浄瑠璃」には独特な作品のリズムがあり、一見無表情な人形によって淡々と演じられていきます。無力な人形たちが「切腹」「心中」という物語の結末にむけて、巨大な運命の力に翻弄されていきます。「人形浄瑠璃」のテーマは個々の人間ではなく、個々の人間を操る運命にある、といわれています。わが身に引き比べたり、身につまされたり…主人公のちょっとした心の弱い部分などに共感し、気持ちを共有しすすんでいく物語…是非同じ空間で体験していただけたらと思います。

【参考文献】
● 「心中への招待状 華麗なる恋愛死の世界」小林恭二(文芸春秋)
● 「恋の手本 曾根崎心中論」高野敏夫(河出書房新社)
● 「上方文化講座 曾根崎心中」大阪市立大学文学研究科「上方文化講座」企画委員会編(和泉書院)
● 「仮名手本忠臣蔵」上村以和於(慶応義塾大学出版会)
● 「松竹歌舞伎検定 公式テキスト」松竹株式会社編
● 「恋するKABUKI」辻 和子(実業之日本社)

温故知新〜元禄時代の若者(故き)を温ねて、現代の若者(新しき)を知る〜

 「曽根崎心中」の主人公お初と徳兵衛。お初19歳、徳兵衛25歳は元禄時代を生きた若者です。
 統計数理研究所が5年ごとに行っている「日本人の国民性調査」によると、現代の若者たちは、1998年の調査結果で多かった「上司にあまりかまってほしくない」という意見は2008年調査では少し減り、「上司に自分のことをかまってほしい」いわゆる愛されたい若者が増えています。国民性調査で「人情課長」と呼んでいる“時には規則をまげて無理な仕事もさせるが、仕事以外のことでもめんどうみのよい”タイプの課長の人気が回復してきているのです。
 心中をした「お初・徳兵衛」がシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」と違う点のひとつに『相談相手がいたか・いなかったか』という点が研究者の中であげられています。もし誰か親身に二人の状況を聞いてくれる人がいたならば別の生きる道があったかも!?現代の若者が求めている「人情課長」の存在に通じるものがあるように思います。
 古典芸能の作品の中にみる、若者の姿…あなたはどう見ますか?ちょっと視点を変えて観ることで、また違った若者の姿を見ることができるのかもしれません。

【参考文献】
● 「心中への招待状 華麗なる恋愛死の世界」 小林恭二(文藝春秋)
● 「国民性調査 第12次調査結果記者発表資料 抜粋」より 統計数理研究所



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