私はなぜ音楽を聴いたり、絵を鑑賞したり、それほど生産的ではないことを続けられるのだろうか。もちろんアマチュアのチェリストとして、他の人が演奏する音楽は参考になる。ただそれだけではない何かを得るために、わたしはCDを買い、コンサートに行き、美術館を訪れる。
それは何か。社会の、人の、思念の、ふだんは触れることがない特別な、奥深い領域を垣間見させてくれるきっかけを、素晴らしい音楽、素晴らしい絵画は与えてくれる。演劇もそう。写真もそう。ついさっきまでもおんなじようにそこにあった世界が、そんな体験を経ることで全く見え方が変わってしまう。そんな「魂の深奥」(自分の?演奏者の?作家の?全部!)に到達することで、ふと自分の心が軽くなり、どこかから、やればできる、やらねばならぬ、という気持ちがわいてくる。
もちろん、よいものに触れれば無条件にそういう状態になるわけではないし、いつでも良いものに会えるわけではない。地道な努力で自分の見方、聴き方を鍛え、機会あるごとにその場に出かける。年に1度くらいは、心が震え、涙がほほを伝う。
生まれてだいたい80年くらいで死んでいく、生物としての肉体を持ったヒトが、モノを作り社会を動かすパワーの源泉として、文化や芸術が存在しているのではないかなと思っている。なのに、現代人には、栄養素としての文化や芸術が足りてない。そんな気がしませんか? |