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言葉を超える鑑賞体験を(財)鳥取県文化振興財団 評議員  澤田 圭太郎

 新聞記者という職業柄、舞台芸術の公演を活字にする機会が多い。例えば音楽。クラシックであれジャズであれ、会場の様子を伝えるのにどうしても常套句(じょうとうく)に頼ってしまう。「聴衆は一糸乱れぬアンサンブルに“魅了された”」「来場者は伸びやかな美声に“酔いしれた”」。お客さんが本当に魅了され、酔いしれたのか、分からぬままに。
 芸術を共有する空間のもよう、感動のような心のざわめきを活字で伝えることは、自らの所感でさえ難しい。人それぞれ、千差万別。なかなか言葉にはならない。裏返せば、そこにいて鑑賞すること、あるいは演じ手となる体験こそ、かけがえない。
 評議員として県文化振興財団の事業を評価するため鑑賞した昨年10月のイ・ムジチ合奏団米子公演の弦楽演奏。中学・高校と吹奏楽をしていたこともあり、和音が響いたときのあの重厚な感じ、複数の奏者が同じ旋律を奏でるユニゾンのピッタリ感や音がドーンと前に出てくる感じなどが胸にジンジンときた。
 そして私はその時、同じホール(米子市公会堂)で小学生のころ初めて聴いたオーケストラ(NHK交響楽団)の生演奏のおぼろげな記憶や、高校時代の定期演奏会でソロがうまくいったときの感激を思い出し、それらが目の前の名演と心の内で共振した。
 当たり前のことなのだろうが、芸術は活字などで疑似体験できるものではなく、現場でしか味わうことができない。ジャンルを問わず、親子で、友人同士連れ立って、時には一人で会場へ。芸術振興は、まずはそこから。



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