見えない世界を信じる力
 鳥取県境港市出身の漫画家 水木(みずき)しげる氏は、5歳の頃「のんのんばあ」から、妖怪や神様のことを『みえんからおらんというのが間違いのもとじゃ』と教わりました。今回は、水木氏の作品を貫く人生哲学のもとになったさまざまな体験や経験のなかから、そのルーツを探ります。

「のんのんばあ」とは

 「のんのん」「のんのんさま」「のんのんさん」とは、幼児語で、北海道から鹿児島まで広く使われている言葉です。神様や仏様、お月様やご飯を指しており(現代日本語方言大辞典より)、境港市の上道(あがりみち)ことば研究会が刊行された本によると、『神・仏や日・月など、すべて尊ぶべきものをいう語。「人がいい」時にも使う。「ノンノンサンのやな子」(注:よい子の意)など。』とあります。
 『のんのんばあとオレ』(水木しげる著)によると、水木氏が子どもだった頃は、境港のあたりでは、神仏に仕える人のことを「のんのんさん」と呼んでいたそうです。その人がおばあさんなら、「のんのんばあさん」、略して「のんのんばあ」です。水木氏が慕う「のんのんばあ」こと景山(かげやま)ふささんは、夫の「拝み手(おがみて)」と呼ばれるおじいさんと一緒に住んでいました。「拝み手」といのうは「拝んで病気をなおす人」という意味で、病人を救う仏様である薬師如来(やくしにょらい)の代理人であり、その代理人に仕えているから「のんのんばあ」と呼ばれたということです。

「のんのんばあ」が見せた「六道絵(ろくどうえ)」

 「のんのんばあ」は、いろいろな妖怪を知っていて、それぞれの妖怪がどこにいて、どんなことをするのかということを実地で幼少時の水木少年に伝えました。また、境港市中野町にある正福寺(しょうふくじ)に水木少年を連れて行き、「六道絵」を見せます。水木氏は、この絵によって別の世界の存在を知ったと語っています。
 「六道絵」については、今日でも、正福寺の永井住職から説明を受けることができます。
 「六道」とは、地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・阿修羅(あしゅら)・人・天の六つの道を指します。絵の右上に六つに分かれる道が描かれていますが、人間は死後、六つの内の決められた一つの道に進むという輪廻転生(りんねてんしょう)を表しているそうです。鬼や女性が描かれていますが、水木少年が見た頃は、もっと怖い顔だったのではないかとのことです。現在の「六道絵」は2000年の鳥取県西部地震の際破損し、復元されたものです。昔は、「閻魔大王(えんまだいおう)が怖い」と子どもが寺に行くのを嫌がったという話があるくらいなので、さぞや怖い顔だったことでしょう。反面、それは、現代人よりも「見えないものを見る力が強かった」ため、余計に畏怖(いふ)の気持ちを強く持ったのかもしれません。
 「六道絵」は全部で4枚あり、どこかに自分自身の姿が描かれているそうです。火の車を走らせている姿、互いに傷つけ合う修羅の姿、足ることを知らない餓鬼の姿…。見えない世界を恐れ、敬うことを「のんのんばあ」は水木少年に伝えたかったのではないかと永井住職はおっしゃいます。
 4枚目の「極楽絵」には一面の蓮の池が描いてあります。これは、人間は欲望なしには生きていけないが、泥の中の白蓮華(びゃくれんげ)のように、欲望に汚れて流されることなく、清らかな花を咲かせましょうという教えだそうです。妖怪は、昔の人の苦しい生活を物語っているものもあれば、人間の生き方からつくられたものもいるようです。妖怪も六道絵の世界も、「見えない」だけで、存在しているのかもしれません。

 2月下旬から鳥取県内で上演される、劇団コーロ公演『のんのんばあとオレ』では、自身の生き方を妖怪(小豆はかり)に相談し、亡くなる友だちを「六道絵」の世界まで送っていく水木少年が描かれています。大人の視点で捉えると、「少年の心の葛藤をドラマティックに表現する」ということになるのかもしれませんが、もしかすると、本当にそのような世界が存在するのかもしれません。少なくとも、「のんのんばあ」が言うように、見えない世界を信じる方が心豊かに生きられるように思います。子どもと一緒に目と耳と心を澄まして、辺りを感じてみるのはいかがでしょうか。


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