鳥取県民文化財団情報誌 アルテ
2007年11月
アルテとはスペイン語で「芸術・美術・技巧」などの意味で、英語では「アート」。アルテでは、県民文化会館をはじめ鳥取県内の文化施設のイベント情報を紹介しています。


 父(天中軒龍月)、母(国本晴美)とも浪曲師でした。
 父は、私が生まれた頃には辞めて勤め人になりましたし、母の浪曲を家では聴くことはあまりありませんでした。
 中学の時、ブルーグラス(1940年代末に発生した初期のカントリーミュージック)の軽快な音楽に魅了され、買ってもらったマンドリンで、レコードのコピーをして練習しました。
 高校時代には、津軽三味線ブームがあり、三味線を習いました。
 友人達と老人ホームに慰問したり、また高校卒業後は作曲に目覚めて、浪曲三味線を習いました。それから浪曲のとりこになったわけです。
 20歳で入門しました。浪曲界では「15年ぶり」の新人でした。21歳で上野本牧亭で初舞台となりました。また、別の活動として、サングラスに革ジャンで「三味線ロック」を演奏する「国本バンド」を友人と結成し、デビューしました。そこから、三味線を使ったオリジナルの幅を広げることに苦心しました。ギターのフレーズを取り入れたり、作詞作曲もやったり…。そのうち母の勧めで、今の三味線の弾き語りのスタイルになりました。
 私は日頃から「浪曲とは日本人の心のシャウトだ」と考えております。
 人の心に響く物語が歌と語りで展開する。演奏スタイルや形式が変わっても、明治以来変わらないのが浪曲師の声の力と三味線の自由自在さだと思っております。浪曲に対してのイメージをいろいろとお持ちの方も是非一度浪曲の舞台に触れていただきたいと存じます。

 浪曲は、難しいことはありません。その時代の庶民の心をうたったものだからです。
 この4つの掛け声で、充分、浪曲ツウになれます。
 (1)待ってました! (2)たっぷり! (3)名調子! 
 (4)日本一!

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